インターネットという社会を暮らすにあたり、私の場合はTumblrという家に引きこもって時々繁華街(情報サイトやTwitterなど)に出かけるという生活スタイルが合っているのかもしれない、とぼんやり思った。ニュースサイト然り、その他云々。Twitterを繁華街と言ってみたけれど、学校の教室みたいだとも思う。みんなが喋っていて、とめどもなく喋っていて、その中にいるのは楽しい時もあるけれど、下校して家に帰るとホッとする、というような。Tumblrを眺めるのはそれとはまた違った感覚がある。フォローしている人の投稿がダッシュボードに流れてくるのを見るのは、「町の図書館でよく見かける人にまた会った」とでも言えばいいのか。上手い比喩が見つからない。
亡くなった叔父が暮らしていた町の景色を新しい職場の行き帰りに車窓から見ている。枯れてゆく木々と真新しいビルと川の流れ。景色はずっとここにあるけど、人も物も、変わらないでいられるものはひとつもない。叔父が生きていたら今日の景色をどんなふうに見ていたんだろうかと考える。もっといろんな話をしたかったんだよな。もう思い出すことしかできない。でもひとつでも多く覚えていられれば。
地下鉄のエスカレーターに貼ってある注意喚起のピクトグラムをなんとなく眺めていた。大人と子どもが並んでエスカレーターに乗っている図。各配色は、注視すべき子どもが赤色、保護者とエスカレーターが青色、エスカレーターの安全ラインが黄色(これは実物通りか)となっている。良いデザインは直感的で実用的だ。
もし非常口のピクトグラムが緑色ではなく赤色だったら不安感を与えるのだろうなとホームに立って考える。こういう感覚は、緑はgo、赤はstop、黄色はcautionを示す信号機を連想するからか(それが全てではないにしろ)。そう言えばなぜ青信号はそのカラーであるところの緑信号と呼ばずに青信号と呼ぶのだろうと疑問を持つ。検索すると解説をしているサイトが色々出てきて面白い。電車を待つあいだ。
東京都現代美術館で開催中の「マーク・マンダース マーク・マンダースの不在」展に行ってきた。朝一番で訪問したが、先客は皆同時開催のライゾマの方へ吸い込まれて行ったのでほぼ貸し切り状態、とてもゆったりと鑑賞することができた。インスタレーション独特の作者の頭の中を歩き回るような体験は奇妙で楽しい。「不在」や「未完成」といったものはある意味で理想的な形なのかもしれないな、と鑑賞しながら考えていた。内臓剥き出しのようにも見える「未完成」は生成でもあるが腐敗にも感じる。あるいは、恒久的に留まり続ける「過去」を鑑賞者の意識を通して遡るように感じる作品もあった。マーク・マンダースの文字ではなく立体を通じて語るという行いを、自分なりに少しは解釈できた、のだろうか。とにかく面白くて何度も行き来した。あと粘土か石膏に見えてブロンズ製の制作物が多くて、この辺の知識がないのだがあの質感、どうやって作るんだろう。
順路最後にある床下に三羽の鳥の死体(のオブジェ)が埋められている部屋は普通に最高だったな。「大地は死に覆われている(けれど普通に地面を歩く時それに気づくことはない)」のだ。
親の家を出て最初に住んだ部屋は最上階に大家が住んでいる物件だった。自分で住んでいるくらいだから悪くはないところだろうというのがこちらの見立てだった。引っ越して最初の日、新茶を持って挨拶に行った。大家は私に「◯◯大学の学生か」と訊ねた。曰く、某教員と知り合いなのだと言う。その通り◯◯大の学生であった私は、果たしてその人の名を知っていた。しかし別にそれだけで、あとは二言、三言会話を交わして終わった。
大家に面倒をかけることはあまりなかったと思っている。一度台所の水道に重いものを落として派手に壊したことはあったが、それ以外はごく静かに暮らしていたと思う。思い出してみると入居の際も「学生だからといって騒がしくなければ良い」ということだけは念押しされたが、結局のところ、人を招くことも殆どなかった。
大家は小柄な高齢男性だった。七十だか八十だかよくわからないがまあその辺りだろうと思っていた。その年代にしては割合元気よく見えていたが、ある時から経鼻チューブをしてエレベーターを降りてくるところを見かけるようになった。「どこか悪いのだろうか」と思ったけれども、それを直接訊ねることもできなかった。
やがてそんな姿も見かけなくなり、ある日町内の看板に訃報が貼り出されているのを見て亡くなったことを知った。年齢は七十でも八十でもなく、九十を優に過ぎていたことも、同時に知ったのだった。
物件はその後大家の子どもが引き継ぐことになった。私はそれからすぐに引越しをしたので、あの建物が今どうなっているのかを知らない。
些事ながらこの思い出を私は忘れたことがないのだが、今になって無性に書き表してみたくなったのは、こういう日記をつけ始めたからかもしれない。私があの物件に入居し、また大家の訃報を見たのがちょうど今時分の時期だった。春が近づく夜の匂いをかぐたび、このことを思い出すのである。
2020年は「無駄な労を省く」ことを始めた年で、それは今日にも続いている。とは言っても大したことではないのだが。
まず、定期入れを普通のものからリールで鞄にぶら下げるタイプに変えた。今まで使うたびに上着のポケットやら鞄やらそのときの気分で放り込んでしまい、結果電車に乗るたびにあちこち探さなくてはならないという事態を招いていた。しかし鞄に常時ぶら下げておけば、そういうことにはならない。以前から巷の小学生が使っている青や黄色の伸びるパスケースを羨ましく思っていて、もういっそあれを使うかとさえ思っていたのだが、大人向けのものも探せばちゃんと売っていた。些細ではあるが、自分にとっては重大な発見だった。
それから電子マネーを積極的に使うようになった。新型コロナウイルスの影響もあるが、札を出して小銭を出して釣り銭のことを考え、という手間がないのは本当に便利だ。脳がちゃんと元気な時は苦ではないのだが、そうでない時はこうしたことに労力を費やすのがとても億劫なのである。
これらの変化が自分の生活にある種の「楽」をもたらしたのは間違いがないのだけれども、他方ではやっぱり、疲れているのだなとも思う。かと言って今後元に戻すつもりもないのだが。自分自身の限度を理解し、取捨選択ができるようになったと考えれば、まあ良いのだろうか。それはそれで悲しくもあるのだが。
何もやる気が出ない。文章を書いてもうまくいかない。本を買うけれど読む気にならない。音楽を聴いて楽しくも悲しくもなりたくない。ただ映画だけは見ているし、映画館はこれからも行く。イングランドは再ロックダウンで各映画も撮影中止を余儀なくされているそうだが、ファンタビ3をいつまでも待つ。
最近地元のライブカメラをつけっぱなしにしている。もう何年もまともに帰れていない。ライブカメラを通して、この場所を鳥が飛んだとか、信号機が青になって止まっていた車が走り去ったとか、そういうことを逐一リアルタイムで見ている事に意味を見出しているらしい。あまり良くないことだと思う。今ここにある現実を生きていないようなものだからだ。生産性がない。
日々を生きているだけで自分の身体以上のエネルギーを消費している。コロナもあるけど、なんというか。この負債がプラスに転換しない限りは、行動に結果がついてくることはないのかもしれない。無力感に絶望したくなるけれど、今できることをやめたくはないと思う。