東京都現代美術館で開催中の「マーク・マンダース マーク・マンダースの不在」展に行ってきた。朝一番で訪問したが、先客は皆同時開催のライゾマの方へ吸い込まれて行ったのでほぼ貸し切り状態、とてもゆったりと鑑賞することができた。インスタレーション独特の作者の頭の中を歩き回るような体験は奇妙で楽しい。「不在」や「未完成」といったものはある意味で理想的な形なのかもしれないな、と鑑賞しながら考えていた。内臓剥き出しのようにも見える「未完成」は生成でもあるが腐敗にも感じる。あるいは、恒久的に留まり続ける「過去」を鑑賞者の意識を通して遡るように感じる作品もあった。マーク・マンダースの文字ではなく立体を通じて語るという行いを、自分なりに少しは解釈できた、のだろうか。とにかく面白くて何度も行き来した。あと粘土か石膏に見えてブロンズ製の制作物が多くて、この辺の知識がないのだがあの質感、どうやって作るんだろう。
順路最後にある床下に三羽の鳥の死体(のオブジェ)が埋められている部屋は普通に最高だったな。「大地は死に覆われている(けれど普通に地面を歩く時それに気づくことはない)」のだ。
http://www.tsukuba-sci.com/?p=3159
例によってナショジオキッズを見ているのだが昨日は熱帯雨林について。temperate rainforest とは何だろうと思ったら温帯雨林のことだった。日本だと白神山地などがそれにあたるらしい。色々見ていたらこちらの記事を見つけた。熱帯から離れるに従って森林の種の多様性が低下するのは、季節がはっきりしているほど結実の時期が種同士で重なるため競争になるという理由らしい。面白い。
今月は読了本が少ない。プラハの墓地が長いからだと思う。しかしこちらも大体60%まで来た。シモニーニの語りは偏見に満ちていて読み物としては決して美しくはないのだけれど、奇妙に愉快だ。今は偽造文書を売りつけようとしたら小説のネタにパクられてしまったところなのだが、ここからどうなるのか。
指輪物語は9巻まで読み終わった。ホビット庄に戻ってからの騒動は映画では描かれなかった内容なのでこんな続きがあったのか、と面白く読んだ。サルマンもこんな最後とは。港での別れのシーンはやはり涙してしまった。追補編も読み終えたら、改めて映画を観よう。
フォームへの回答も、ありがとうございました。あらすじを見て中々凄そうだなと思いました。折を見て読んでみたいです。
大人とはなんだろうか、とふと思う。子どもの頃考えていた「大人」は、空に浮かぶ星の名や、道端の草木の名をなんでも知っている人のことだった。生業にこそしていないけれども、私は概ねそういう人生の途中にある。現実的な話、それだけでは到底大人とは呼ばないし、自分自身にしろ、好きだから続けているというだけの話だ。その上、それらを知らなくとも「大人らしさ」には全く関係がない。大人の背中というものがあるとしたら、ただその人の振る舞いであり、生き方に他ならない。私自身が「大人のあり方」について考え続けるのならば、これからどんな選択をしようと、そのことは忘れずにいたいと思う。(副題:いいやつになれ、と霊幻は言った)
SXSWでの上映にイライジャウッドが来ていてマジかよ〜〜となった話、ただただ楽しそうで良い。
二年前くらいにインストールしてから使ったり休んだりを繰り返しているのだが、ここ最近は積極的に利用している。
SNSを見ているとどうしても「みんなに比べて自分は何もしていない」という気持ちになりがちなのだが、Trickleで自分のログを見直すと自分なりに色々取り組んでいることをちゃんと認識できるから助かっている。草ログが実装されているのも、自分が何についてどれくらいの頻度で(あるいは期間を)取り組んできたのかがわかりやすくて良い。他人が取り組んだことについて「自分はやっていない……」と落ち込むのではなく、自分がやってきたことをちゃんと自分で評価できるようになれればいいと思う。