上越新幹線にて絶賛運用中のMaxとき(たにがわ)ことE4系が、ついにこの秋を持って運用終了となる。引退キャンペーンの一環として全編成に特別ラッピングが施されたと聞いていてもたってもいられず、退社後の足で東京駅へ寄ってきた。装備はといえば、スマホとISO100のフィルムが入ったカメラしかない。知っていればそれなりに持って出たのに、でもまあいいだろうと思って入場券を買った。とにかく「見てみたい」と言う己の気持ちを尊重することが重要だと思ったのである。
Maxは素晴らしい車両だった。子供時代、新幹線に乗る機会なんていうのは基本的に夏冬の長期休暇を利用した旅行に伴うもので、動機からして既に楽しい。しかも新幹線というものはただでさえ、大きくて速い。その上二階建てとくれば、それはもうとてつもなく素晴らしい存在だったのである。
親たちはいつも二階席をとって子供たちを喜ばせた。いい思い出だ。私は今でもできる限りMaxを選び、二階席に座る。ただいつの頃からか夏と冬の休暇期間だけは、かつての自分のような子どもたちに配慮(?)して、一階席に収まるようになっていた。乗る機会を持てない間も、Maxの走る姿を見るだけで嬉しかった。
Maxにとって最後の冬は終わった。融雪用のスプリンクラーが吹き出す水の霧に包まれながら入線するMaxを見ることはもうない。けれどまだ夏はやってくる。今年はどうだろうか。帰省の、あるいは旅行に向かう子どもらがステップを駆け上がって行く姿を見ることができるのだろうか。そうして彼らで満席になった車窓を見ることが。そうであってほしい。
最後の最後まで、Maxにとって、たくさんの人にとって、素晴らしい思い出が積み重なるように、心から願う。
卒業した高校へ再び登校する夢を見た。親に送ってもらう車の中で「知らない人ばかりになっているだろうにうまくやっていけるだろうか」などと漠然と考えていた。学校からの帰り道、もう長い間連絡が取れなくなっている友人に会うため彼女の職場へ行った。彼女は現実には生花店で働いていたけれど、夢の中では今はもうない書店で働く人だった(彼女は本を読むのがとても好きで、私が声をかけても気がつかないほどに熱中する人だったから、願望というか、潜在意識がそうした設定を作り出したのかもしれない)。連絡が取れなくなる少し前、彼女は精神的にとても不安定だったけれど、夢の中ではちゃんと健康そうに働いていて、私を見ると笑った。私はポケットから自転車の鍵を取り出して彼女に渡した。彼女の運転する車に幾度も乗せてもらったけれど、その鍵は彼女が小学校の頃に乗っていたブルーの自転車の鍵だったと目が覚めてから思った。
SNSを見ていると常に誰かが怒っている。政治に、あるいは見も知らぬ誰かの発言に。自分の意見を明瞭にしておくことは大切だが、怒ること自体を目的に持ってしまうのはあまりに虚しい。他者への批判は自己を正当化するためにあるのではない。感情の赴くままに否定したり、肯定したりもしたくないし、誰かのそうした行為を受け取りたくもない。
Tumblrを作り直した。過去に作ったメインブログにサブで作成し続けていたけれど、フォローやスキはメインブログ(オタク活動)の名義になってしまうようで、その顔をオタク無関係な方に晒して回るのもどうなんだろうという次第で。新年だしね。ちょうどいい機会だ。
最近(といってもまだ数日だが)Twitterを休んでいるからTumblrが楽しい。読書感想とか、日記とか、写真を探して読んでいる。ゼロ年代初頭の個人サイト文化で育ったから、隣の家に住んでいそうな誰かのなんでもない日記を読むのが本当に好きだ。Twitterでもそうしたツイートに出会えないことはないのだけれども、探すのは結構大変だったりする。それでいて140字の世界だからちょっと物足りない。今日食べたものとか読んだ本の話をもっと長々聞きたいんだよ。
noteも少しやってみたけれど、これもあまり合わなかった。字数制限もなく自由に書ける場所ではあるが、ピックアップされている記事が自分の興味を外れているというか。「◯◯する方法」とか「◯◯だった私が△△した話」とか割と興味がない。レシピもレシピサイトで見たいし、有料記事のなんと多いことか……。Twitterにしろnoteにしろ「多くの人にとって有益で特別」でなければならないような空気を感じる。もちろんそれらがコンテンツとして優れている事には違いないだろうが、自分がそこで同じようなエンターテイナーを目指す気力があるかと言えば、全然ない。あくまでも私がそう感じているだけで、もっと気楽に使えている人だっているのだろうけれど。私が気楽に使えるのは結局、サイトか、ブログか、Tumblrなんだろう。Tumblrさんいつもありがとう。今年もよろしくお願いします。
半年ぶりの金沢は雪のしんと冷たい街をたくさんの人で賑わっていてとても良かった。裏日本の実際はなんといっても冬にある。水分の多い雪が延々と降っては積り、積もっては緩んで凍る。鬱々とした曇天が続く。それに加えて金沢という都市は天候が目まぐるしく変わりすぎるのが面白い。新潟と金沢はよく比較の題材にされるが、金沢に比べれば新潟はもう少し天候がいいと思うし、城下町と新興の平野ではそもそもの地盤が似ていない。それでも空気感のようなものは似ている。あと金沢には大和があるのが新潟市民的に郷愁を誘う(富山にもあるらしいが)。
東京に戻ってきたら雪はもちろんないし太陽は明るいし人間ってこんなにいるのかという驚きで不思議な気持ちになる。空気の乾燥に手指があっという間にささくれてうまく動かない。色んなことを考える。今年ももう終わる。
そんなわけで全巻セットを無事受け取る。地図付き!嬉しい。
昨晩はAmazonプライムで「GET DUKED!」を見た。エディンバラ公主催の「都会の若者を田舎に連れ出す」企画に参加した男子高校生四人の珍道中。メンバーは不良三人と、真面目な一人。適当に終わらせて帰るつもりが、謎の「公爵」に命を狙われ……というストーリー。自国民と王室にも容赦しないイギリス人のブラックユーモアが全編に渡り炸裂している。言うなればブリテンスピリットの塊である。引率の教師役がSHERLOCKでアンダーソンを演じたジョナサン・アリスで、個人的には嬉しい邂逅だった。
高校生の他にハイランド住民の高齢者たちがゾロゾロ出てくるのだが、これがまた元気いっぱいで良い。「ロンドンゾンビ紀行」(高齢者たちがゾンビと戦う)を彷彿とさせるテンションの高さ。見習いたい(?)。