朝から水耕栽培の鉢をひっくり返してしまい悲しみに暮れているけど、観葉植物には特に関係のない話であった。
親の家を出て最初に住んだ部屋は最上階に大家が住んでいる物件だった。自分で住んでいるくらいだから悪くはないところだろうというのがこちらの見立てだった。引っ越して最初の日、新茶を持って挨拶に行った。大家は私に「◯◯大学の学生か」と訊ねた。曰く、某教員と知り合いなのだと言う。その通り◯◯大の学生であった私は、果たしてその人の名を知っていた。しかし別にそれだけで、あとは二言、三言会話を交わして終わった。
大家に面倒をかけることはあまりなかったと思っている。一度台所の水道に重いものを落として派手に壊したことはあったが、それ以外はごく静かに暮らしていたと思う。思い出してみると入居の際も「学生だからといって騒がしくなければ良い」ということだけは念押しされたが、結局のところ、人を招くことも殆どなかった。
大家は小柄な高齢男性だった。七十だか八十だかよくわからないがまあその辺りだろうと思っていた。その年代にしては割合元気よく見えていたが、ある時から経鼻チューブをしてエレベーターを降りてくるところを見かけるようになった。「どこか悪いのだろうか」と思ったけれども、それを直接訊ねることもできなかった。
やがてそんな姿も見かけなくなり、ある日町内の看板に訃報が貼り出されているのを見て亡くなったことを知った。年齢は七十でも八十でもなく、九十を優に過ぎていたことも、同時に知ったのだった。
物件はその後大家の子どもが引き継ぐことになった。私はそれからすぐに引越しをしたので、あの建物が今どうなっているのかを知らない。
些事ながらこの思い出を私は忘れたことがないのだが、今になって無性に書き表してみたくなったのは、こういう日記をつけ始めたからかもしれない。私があの物件に入居し、また大家の訃報を見たのがちょうど今時分の時期だった。春が近づく夜の匂いをかぐたび、このことを思い出すのである。
Twitterを見なくなり、ネットニュースを見なくなった結果、美術館やNASAの記事を見る時間が増えた。ナショジオの定期購読を随分前にやめたのだが、ニュースレターだけは受け取っている。目を通すとやはり面白い。購読したいが紙の本は嵩張るのが難点だ。英語版のKindleがあるといいのだが。
速報性からは離れるがナショジオキッズをなんとなく読んでみる。サイトの更新頻度がわからないが、現在のトップにはチリについての記事がある。簡潔な内容だが無知の者には結構面白い。首都近郊には全人口の四割が居住しているそうで、郊外の子供たちは通学に時間がかかるため朝が早いとある。日本でも中学高校が遠すぎることはままあるが、チリも同じような感じなのだろうか。小学校が遠いのだとしたら相当大変だ。
またチリの先住民族マプチェ、wikiによればその名前の由来は彼らの言語で大地(Mapu)に生きる人々(Che)だという。とてもいい響きだ。チェ、という言葉は隣国アルゼンチンの雄ゲバラの愛称を思い出すが、あちらはスペイン語か。入植者たち、彼らと争った民族。様々の血と動乱の歴史を持つ南米の地に想いを馳せる。
指輪物語2巻を読み終わった。相変わらず物語の進行は遅々としているように感じる。何しろまだ裂け谷にも辿り着いていないのだ。それはそれとして、映画では省略されていたトムボンバディルのくだりや、踊る小馬亭での騒動が面白かった。しかしフロドが偽名に用いた「アンダーヒル」はわざわざ「山の下」と訳さなくても良かったのでは、と思わなくもない。ギャムジー、トゥック、ブランディバックときて山の下さんというのもどうだろうか。
だいぶ暖かいので一日中窓を開けていた。強い風が吹き込んできて家の中の色々なものを揺らめかす。キーボードを打つ指の間を通っていく。それと同時に自分自身がそこからこぼれ落ちていくような感覚を持つ。自分の肉体から自分自身が抜け落ちたら、あとには何が残されているんだろうか。