くさくさしていたからあんまりいい写真じゃないけれど記録。今日は台風で散々だし皿も割った。でもいいビールがあればそんな日も何とか終わることができる。
2020年は「無駄な労を省く」ことを始めた年で、それは今日にも続いている。とは言っても大したことではないのだが。
まず、定期入れを普通のものからリールで鞄にぶら下げるタイプに変えた。今まで使うたびに上着のポケットやら鞄やらそのときの気分で放り込んでしまい、結果電車に乗るたびにあちこち探さなくてはならないという事態を招いていた。しかし鞄に常時ぶら下げておけば、そういうことにはならない。以前から巷の小学生が使っている青や黄色の伸びるパスケースを羨ましく思っていて、もういっそあれを使うかとさえ思っていたのだが、大人向けのものも探せばちゃんと売っていた。些細ではあるが、自分にとっては重大な発見だった。
それから電子マネーを積極的に使うようになった。新型コロナウイルスの影響もあるが、札を出して小銭を出して釣り銭のことを考え、という手間がないのは本当に便利だ。脳がちゃんと元気な時は苦ではないのだが、そうでない時はこうしたことに労力を費やすのがとても億劫なのである。
これらの変化が自分の生活にある種の「楽」をもたらしたのは間違いがないのだけれども、他方ではやっぱり、疲れているのだなとも思う。かと言って今後元に戻すつもりもないのだが。自分自身の限度を理解し、取捨選択ができるようになったと考えれば、まあ良いのだろうか。それはそれで悲しくもあるのだが。
SXSWでの上映にイライジャウッドが来ていてマジかよ〜〜となった話、ただただ楽しそうで良い。
フォローしている方の投稿を見て、面白そうだったので買った。執筆陣に好きな作者が多かったのと、特にウティット・へーマムーンの名前があったのは大きい。届いてすぐ「心焦がすサイゴン」を読んだ。感情がねじ切れるかと思うほど良かった。へーマムーン氏の描くタイ人はチャオプラヤ川を原風景として強く抱いている。異国においても川は彼らの意識から切り離されることはなく、どこにいても彼らのチャオプラヤ川に繋がっている、そういう強い感情を今作にも垣間見た。生きることと国あるいは政治というものが強く密接し合い、混じり合って肉体をなす人々の人生。その、一場面。
Twitterを見なくなり、ネットニュースを見なくなった結果、美術館やNASAの記事を見る時間が増えた。ナショジオの定期購読を随分前にやめたのだが、ニュースレターだけは受け取っている。目を通すとやはり面白い。購読したいが紙の本は嵩張るのが難点だ。英語版のKindleがあるといいのだが。
速報性からは離れるがナショジオキッズをなんとなく読んでみる。サイトの更新頻度がわからないが、現在のトップにはチリについての記事がある。簡潔な内容だが無知の者には結構面白い。首都近郊には全人口の四割が居住しているそうで、郊外の子供たちは通学に時間がかかるため朝が早いとある。日本でも中学高校が遠すぎることはままあるが、チリも同じような感じなのだろうか。小学校が遠いのだとしたら相当大変だ。
またチリの先住民族マプチェ、wikiによればその名前の由来は彼らの言語で大地(Mapu)に生きる人々(Che)だという。とてもいい響きだ。チェ、という言葉は隣国アルゼンチンの雄ゲバラの愛称を思い出すが、あちらはスペイン語か。入植者たち、彼らと争った民族。様々の血と動乱の歴史を持つ南米の地に想いを馳せる。
インターネットという社会を暮らすにあたり、私の場合はTumblrという家に引きこもって時々繁華街(情報サイトやTwitterなど)に出かけるという生活スタイルが合っているのかもしれない、とぼんやり思った。ニュースサイト然り、その他云々。Twitterを繁華街と言ってみたけれど、学校の教室みたいだとも思う。みんなが喋っていて、とめどもなく喋っていて、その中にいるのは楽しい時もあるけれど、下校して家に帰るとホッとする、というような。Tumblrを眺めるのはそれとはまた違った感覚がある。フォローしている人の投稿がダッシュボードに流れてくるのを見るのは、「町の図書館でよく見かける人にまた会った」とでも言えばいいのか。上手い比喩が見つからない。