連日ニュースが続いている。ロシア大統領の行ってきた政治というものを考えた時、それは国の舵取りであると同時に、国際社会におけるロシアという自我の舵取りでもあったと思う。けれど今は一個人の不可解な自我の暴走にしか見えない。あまりに虚しい。
人生、いよいよネガティブな事柄しか思いつかないので何か書こうと思うのだが言語化することにあまり意味を見出せない。ともあれ正月が過ぎて良かった。休暇を他人がどう過ごしたか聞いたり聞かれたりする無意味なお喋りに巻き込まれたくない。夏と冬と年に2回もこういうことがあるのはうんざりする。人間に向いていないタイプの人間のことをなんて言うんだったかな。
そんなわけで全巻セットを無事受け取る。地図付き!嬉しい。
昨晩はAmazonプライムで「GET DUKED!」を見た。エディンバラ公主催の「都会の若者を田舎に連れ出す」企画に参加した男子高校生四人の珍道中。メンバーは不良三人と、真面目な一人。適当に終わらせて帰るつもりが、謎の「公爵」に命を狙われ……というストーリー。自国民と王室にも容赦しないイギリス人のブラックユーモアが全編に渡り炸裂している。言うなればブリテンスピリットの塊である。引率の教師役がSHERLOCKでアンダーソンを演じたジョナサン・アリスで、個人的には嬉しい邂逅だった。
高校生の他にハイランド住民の高齢者たちがゾロゾロ出てくるのだが、これがまた元気いっぱいで良い。「ロンドンゾンビ紀行」(高齢者たちがゾンビと戦う)を彷彿とさせるテンションの高さ。見習いたい(?)。
自分のiPhoneを見て、イヤホンジャックがないことに今更しみじみと気がつく。かつてガラケーにアンテナがついていて、これをカラフルに光らせてみたりするという文化があったように、iPhoneを充電しながらジャックにイヤホンをさして音楽を聴くという行為は、これはこれで一つの文化だったのだと思う。イヤホンジャック廃止はそれ以前のやり方から言えば確かに不便な側面はあり、そのためにイヤホン用と充電用で二つの差し込み口がついたドックが販売されているのは当然と言えば当然だろう。しかしなんというか、この種の旧態維持が実現することによって得られる充足は、たぶんノスタルジーに似ていなくもない。
一昨日「ホビット 思いがけない冒険」を観終わった。終わりの方でビルボが言うこの言葉がとても良かった。トーリンがビルボを「疑ってすまなかった」と謝るのに対して言った言葉。「いいんだよ。僕だって疑っただろう。僕は英雄じゃないし、戦士でもないし、(ガンダルフの言うような)忍びの者ですらないんだからね」。これは自虐みたいだけれども、それがビルボの良さで、ホビットの偉大なところではないだろうか。
ガンダルフの仲間の魔法使いも出てきて楽しかった。サルマンはこの頃からと言うか、もともと闇に傾きそうなところがあったのかもしれないな、と今作での言動を観ていて思った。強い者が強く、それ以外はとるに足らない者、とでも考えているような。良し悪しというよりは、善というものへの認識がガンダルフとは異なっているのだろう。
さて次作は「竜に奪われた王国」である。これは六年前くらいに買ってあったのだがずっと未見のままで、ついに見る機会がやってきた。原作も同じで、今は映画を休んでこちらを読んでいる。最近一般小説を読むのがつらくて読書から遠ざかっていたのだが、久々に本を読んで楽しいと思える。今はこういうのが合っているのかもしれない。次はナルニアを読もうかなあと考えている。
2020年は「無駄な労を省く」ことを始めた年で、それは今日にも続いている。とは言っても大したことではないのだが。
まず、定期入れを普通のものからリールで鞄にぶら下げるタイプに変えた。今まで使うたびに上着のポケットやら鞄やらそのときの気分で放り込んでしまい、結果電車に乗るたびにあちこち探さなくてはならないという事態を招いていた。しかし鞄に常時ぶら下げておけば、そういうことにはならない。以前から巷の小学生が使っている青や黄色の伸びるパスケースを羨ましく思っていて、もういっそあれを使うかとさえ思っていたのだが、大人向けのものも探せばちゃんと売っていた。些細ではあるが、自分にとっては重大な発見だった。
それから電子マネーを積極的に使うようになった。新型コロナウイルスの影響もあるが、札を出して小銭を出して釣り銭のことを考え、という手間がないのは本当に便利だ。脳がちゃんと元気な時は苦ではないのだが、そうでない時はこうしたことに労力を費やすのがとても億劫なのである。
これらの変化が自分の生活にある種の「楽」をもたらしたのは間違いがないのだけれども、他方ではやっぱり、疲れているのだなとも思う。かと言って今後元に戻すつもりもないのだが。自分自身の限度を理解し、取捨選択ができるようになったと考えれば、まあ良いのだろうか。それはそれで悲しくもあるのだが。
花粉の時期になってきたので、いつもの耳鼻科に行って薬を処方してもらった。医院は全然患者がきておらず、私の他に一人しかいなかった。近所に同じような診療をする病院があって、どうもそちらの方が評判がいいらしい。こちらの先生はよく言えば気さくで、悪く言えばがさつな人なので、人によっては合わないと感じるのだろう。私は別段いやな思いをしたこともないので、空いているのをありがたく通っている。
帰り道、入試を終えて帰宅する一団と一緒になった。そういえば、そんな季節なのだと気がつく。今は年中大して代わり映えのしない生活をしているけれど、学生の頃は色んなイベントに揉まれながら常に先へ、先へと向かって生きていたのだなあ、となんとなく思い出した。春先の夜は霞んで明るい。