https://www.soup-stock-tokyo.com/yearcup-2021
ポイントが貯まったので交換してもらった。2020年の食事はスープストックにお世話になることがとても多かった。一人で静かにサッと済ませられるのがありがたい。カレーとスープのセットにレモネードを付けるのが定番。最近は通販のレトルトを利用したり、お店の味を思い出して自分で作ってみたりしている。イヤーカップは初めて入手した。最初の一杯はどんなスープにしようか考えている。
1巻読み終わった。未だホビット庄を出ていないことに驚く。そしてやはりホビットの冒険を読んだ後なので、諸々理解が及んで楽しい。映画のフロドは若者だったので、原作では五十歳なこと、五十歳なのでそれなりに落ち着きのある雰囲気なのが新鮮で面白い。
ホビットの冒険でもそうだったが、食事の様子が美味しそうで良い。きのことベーコンの料理なんて容易に味の想像がつく(確かに美味しい)けれど、物語に出てくると途端に食べたい気持ちが湧いてくるから不思議だ。それから森で出会ったエルフたちが振る舞ってくれた食べ物。「泉のように冷たくて黄金色をした飲み物」は一体どんな味なのだろう。それが宴席で供される場面もいいのだが、水筒に詰めてもらったのを飲むのがいかにも美味しそうだった。いや、どんな感想だ。
あなたの周りは、いたるところ広い世界。垣根をきずいてとじこもることはできても、垣根の中にいつまでも外の世界を入れないでおけはしないでしょう。(新版指輪物語1 191ページより)
私が日記を書こうとすると「最近○○していない」とか「できていない」とか未処理案件ばかり羅列して「だからなんなのか」という話になりがちである。今「映画館に全然行けていない」と書こうとして得た気付きなのだが、これはひとえにGOG Vol.3を見に行きたいのに見に行けていないからだ。でも少し前に黒鉄の魚影は見に行った。蘭おねえさん(丁寧語)がバルコニーから飛び出すシーンが派手すぎて「俺はマーベルを観に来たんだったか?」という気持ちになったし、最高に良かった。何にせよ、哀ちゃんもジンの兄貴も一生推せますね。
最近アンディ・ウィアーを読んでいるから自分の文章もあのスピード感に引きずられて前のめりになっている気がする。が、悪いことではないと思うようにする。日記をグダグダ書いても仕方ないので。
大人とはなんだろうか、とふと思う。子どもの頃考えていた「大人」は、空に浮かぶ星の名や、道端の草木の名をなんでも知っている人のことだった。生業にこそしていないけれども、私は概ねそういう人生の途中にある。現実的な話、それだけでは到底大人とは呼ばないし、自分自身にしろ、好きだから続けているというだけの話だ。その上、それらを知らなくとも「大人らしさ」には全く関係がない。大人の背中というものがあるとしたら、ただその人の振る舞いであり、生き方に他ならない。私自身が「大人のあり方」について考え続けるのならば、これからどんな選択をしようと、そのことは忘れずにいたいと思う。(副題:いいやつになれ、と霊幻は言った)