今月は読了本が少ない。プラハの墓地が長いからだと思う。しかしこちらも大体60%まで来た。シモニーニの語りは偏見に満ちていて読み物としては決して美しくはないのだけれど、奇妙に愉快だ。今は偽造文書を売りつけようとしたら小説のネタにパクられてしまったところなのだが、ここからどうなるのか。
指輪物語は9巻まで読み終わった。ホビット庄に戻ってからの騒動は映画では描かれなかった内容なのでこんな続きがあったのか、と面白く読んだ。サルマンもこんな最後とは。港での別れのシーンはやはり涙してしまった。追補編も読み終えたら、改めて映画を観よう。
フォームへの回答も、ありがとうございました。あらすじを見て中々凄そうだなと思いました。折を見て読んでみたいです。
卒業した高校へ再び登校する夢を見た。親に送ってもらう車の中で「知らない人ばかりになっているだろうにうまくやっていけるだろうか」などと漠然と考えていた。学校からの帰り道、もう長い間連絡が取れなくなっている友人に会うため彼女の職場へ行った。彼女は現実には生花店で働いていたけれど、夢の中では今はもうない書店で働く人だった(彼女は本を読むのがとても好きで、私が声をかけても気がつかないほどに熱中する人だったから、願望というか、潜在意識がそうした設定を作り出したのかもしれない)。連絡が取れなくなる少し前、彼女は精神的にとても不安定だったけれど、夢の中ではちゃんと健康そうに働いていて、私を見ると笑った。私はポケットから自転車の鍵を取り出して彼女に渡した。彼女の運転する車に幾度も乗せてもらったけれど、その鍵は彼女が小学校の頃に乗っていたブルーの自転車の鍵だったと目が覚めてから思った。
半年ぶりの金沢は雪のしんと冷たい街をたくさんの人で賑わっていてとても良かった。裏日本の実際はなんといっても冬にある。水分の多い雪が延々と降っては積り、積もっては緩んで凍る。鬱々とした曇天が続く。それに加えて金沢という都市は天候が目まぐるしく変わりすぎるのが面白い。新潟と金沢はよく比較の題材にされるが、金沢に比べれば新潟はもう少し天候がいいと思うし、城下町と新興の平野ではそもそもの地盤が似ていない。それでも空気感のようなものは似ている。あと金沢には大和があるのが新潟市民的に郷愁を誘う(富山にもあるらしいが)。
東京に戻ってきたら雪はもちろんないし太陽は明るいし人間ってこんなにいるのかという驚きで不思議な気持ちになる。空気の乾燥に手指があっという間にささくれてうまく動かない。色んなことを考える。今年ももう終わる。
日曜、「平成を見納めに行こう」ということで友人と連れ立ってパレットタウンに行った。お台場という場所に来ることが早々ない。下手したら小学生以来かもしれない。昔、東京観光に行くということになって張り切った母が日程表を作り出したのだが、パソコンに「お台場海浜公園」と打ち込んだら「お題馬鹿遺品公園」と変換されて二人で死ぬほど笑い転げた記憶がある。平成の話だ。当時は再訪が年号を跨ぎ、しかも閉園直前になるとは考えてもいなかったと思う。
夕方のパレットタウンは結構賑わっていた。せっかくだから観覧車に乗っておこうという話になる。もう夕方だからか待ち時間は5分ほどだった。ゴンドラの高度が上がっていくに連れて、窓の外の景色が広く明らかになる。フジテレビ社屋、レインボーブリッジ、東京タワーだのスカイツリーだの、絵に描いたような東京。反対側を見れば、近海郵船の大きな船体が夕陽に照らされながら停泊していた。その上を羽田を発った飛行機が過ぎていく。こんなにも近くで飛ぶ飛行機を見たことがない。あれもこれもすごいと二人でずっと騒いだ。観覧車は大体15分かそこらで一周した。降りた後真下で観覧車の写真を撮った。あの大観覧車をオートボーイルナで撮るのはいかにも平成で楽しかった。
亡くなった叔父が暮らしていた町の景色を新しい職場の行き帰りに車窓から見ている。枯れてゆく木々と真新しいビルと川の流れ。景色はずっとここにあるけど、人も物も、変わらないでいられるものはひとつもない。叔父が生きていたら今日の景色をどんなふうに見ていたんだろうかと考える。もっといろんな話をしたかったんだよな。もう思い出すことしかできない。でもひとつでも多く覚えていられれば。
インターネットという社会を暮らすにあたり、私の場合はTumblrという家に引きこもって時々繁華街(情報サイトやTwitterなど)に出かけるという生活スタイルが合っているのかもしれない、とぼんやり思った。ニュースサイト然り、その他云々。Twitterを繁華街と言ってみたけれど、学校の教室みたいだとも思う。みんなが喋っていて、とめどもなく喋っていて、その中にいるのは楽しい時もあるけれど、下校して家に帰るとホッとする、というような。Tumblrを眺めるのはそれとはまた違った感覚がある。フォローしている人の投稿がダッシュボードに流れてくるのを見るのは、「町の図書館でよく見かける人にまた会った」とでも言えばいいのか。上手い比喩が見つからない。