浅草にあるMISOJYUというお店のメニューに「スパイシーツナ」なるおにぎりがあるのを見て食べてみたくなり、自分でなんとなく拵えてみる。水気を切ったツナ缶にマヨネーズとチリパウダーと黒胡椒と醤油を入れて和える。ちゃんとおにぎりにして、きのこと豆腐の味噌汁と食べた。小さいことでも新しい試みを自分の生活に取り込んでいく。ことを絶やさないでいたい。
人生、いよいよネガティブな事柄しか思いつかないので何か書こうと思うのだが言語化することにあまり意味を見出せない。ともあれ正月が過ぎて良かった。休暇を他人がどう過ごしたか聞いたり聞かれたりする無意味なお喋りに巻き込まれたくない。夏と冬と年に2回もこういうことがあるのはうんざりする。人間に向いていないタイプの人間のことをなんて言うんだったかな。
The Verge, Shimo-kitazawa 下北沢
SNSを見ていると常に誰かが怒っている。政治に、あるいは見も知らぬ誰かの発言に。自分の意見を明瞭にしておくことは大切だが、怒ること自体を目的に持ってしまうのはあまりに虚しい。他者への批判は自己を正当化するためにあるのではない。感情の赴くままに否定したり、肯定したりもしたくないし、誰かのそうした行為を受け取りたくもない。
花粉の時期になってきたので、いつもの耳鼻科に行って薬を処方してもらった。医院は全然患者がきておらず、私の他に一人しかいなかった。近所に同じような診療をする病院があって、どうもそちらの方が評判がいいらしい。こちらの先生はよく言えば気さくで、悪く言えばがさつな人なので、人によっては合わないと感じるのだろう。私は別段いやな思いをしたこともないので、空いているのをありがたく通っている。
帰り道、入試を終えて帰宅する一団と一緒になった。そういえば、そんな季節なのだと気がつく。今は年中大して代わり映えのしない生活をしているけれど、学生の頃は色んなイベントに揉まれながら常に先へ、先へと向かって生きていたのだなあ、となんとなく思い出した。春先の夜は霞んで明るい。
指輪物語2巻を読み終わった。相変わらず物語の進行は遅々としているように感じる。何しろまだ裂け谷にも辿り着いていないのだ。それはそれとして、映画では省略されていたトムボンバディルのくだりや、踊る小馬亭での騒動が面白かった。しかしフロドが偽名に用いた「アンダーヒル」はわざわざ「山の下」と訳さなくても良かったのでは、と思わなくもない。ギャムジー、トゥック、ブランディバックときて山の下さんというのもどうだろうか。
だいぶ暖かいので一日中窓を開けていた。強い風が吹き込んできて家の中の色々なものを揺らめかす。キーボードを打つ指の間を通っていく。それと同時に自分自身がそこからこぼれ落ちていくような感覚を持つ。自分の肉体から自分自身が抜け落ちたら、あとには何が残されているんだろうか。
The Lord of the Ringsを観終わったので、The Hobbitに着手した。LOTRの完走には実に一週間もの時間を要した。48時間期限の配信をレンタルするのだが、途中で期限が切れて再度借りさえしたのである。「王の帰還」のエンドロールが始まった時、やっとこれで終わったのだ……という感慨が、まるで自分自身が指輪を捨てる旅に出ていたかのように押し寄せてきた。
そうしてひと時の安息を経て、今度は過去へと冒険に発ったのである。
どちらのシリーズも物語が面白いのはもちろんなのだが、カメラワークの妙と言うか、世界を余すことなく見せることによって世界観へより深く没入させるところがすごい。草原から山肌、空と走る雲。緻密に描かれる地下の国。LOTRでのホビットの汚れた足、戦場に長髪をなびかせて戦うエルフの洗練された強さ。目に焼き付いている。