ハーブティーのストックがなくなったので買い足す。カモミールだけでも六箱あったのに、いつのまにかなくなっていた。ハーブティーはカフェインでない水分として重宝しているし、水筒に入れるのにもちょうどいい。ステンレスで持ち運んでも、紅茶やコーヒーと違って味の変化をあまり感じないように思う。しかし今朝は冷まし足りず、昼頃まで熱くて飲めなかった。
8巻。セオデンが奮い立ちゴンドールへ向けて勇猛に馬を進める様子を兵たちが神話の人物かと見紛う場面がとても良い。エウォインの女であるがゆえの苦悩、苛立ちが丁寧に描かれているのも良かった。それがあればこそその後の活躍は一層輝いて見える。
指輪物語の文体や言い回しは、この物語の神話的な性格に相応しいものだと思うのだが、この巻は特に痺れる表現がたくさんあった。デネソールが自分と瀕死のファラミアに火をかけての無理心中を思い立った際、高熱のファラミアの手をとって「この子はもう燃えておる」は特に好きなシーン。
それからエーコの「プラハの墓地」は、まだ15%程度。面白い。この雰囲気は同じエーコの「薔薇の名前」を帯文で引き合いに出された「グノーシスの薔薇」(デヴィッド・マドセン)を思い出す。などと言うとエーコファンには怒られるのかもしれないが、私はこの本が大好きだ。こちらも再読する機会があれば、また。
自分のiPhoneを見て、イヤホンジャックがないことに今更しみじみと気がつく。かつてガラケーにアンテナがついていて、これをカラフルに光らせてみたりするという文化があったように、iPhoneを充電しながらジャックにイヤホンをさして音楽を聴くという行為は、これはこれで一つの文化だったのだと思う。イヤホンジャック廃止はそれ以前のやり方から言えば確かに不便な側面はあり、そのためにイヤホン用と充電用で二つの差し込み口がついたドックが販売されているのは当然と言えば当然だろう。しかしなんというか、この種の旧態維持が実現することによって得られる充足は、たぶんノスタルジーに似ていなくもない。
先月から一箱本屋を始め、なんとなく売れたりしている。自分を経由して本が売れるのは嬉しい。接客業が絶望的に向いていなくて書店のアルバイトを三ヶ月で辞めた過去があるけれど、方法を少し変えれば本と一緒に何かをやるのはやっぱり楽しい。
久しぶりに写真を撮る機会があり、フィルムを現像に出す。郵便局の窓口が混んでいる。みんな大きな荷物を抱えている。
ずっと読書をしている。今月は今のところ四冊読み終えた。最近クリスティーが面白くて毎月何かしら読んでいる。ポワロのドラマを見るためにアマプラでWOWOWのチャンネルに加入した。昼休みはこれを観ながら食事をしている。テレビのワイドショーが聞こえてこないように、両耳をイヤホンで塞いで観る。
短歌をもう少し勉強しようと思い、木下龍也さんと佐藤弓生さんの歌集を買った。うたらば12月号に三首投稿して一首採用してもらう。ただ、自分の作るものの良し悪しがまだ全然わかっていない。ひとまずインプットあるのみかと思っている。
SNSを見ていると常に誰かが怒っている。政治に、あるいは見も知らぬ誰かの発言に。自分の意見を明瞭にしておくことは大切だが、怒ること自体を目的に持ってしまうのはあまりに虚しい。他者への批判は自己を正当化するためにあるのではない。感情の赴くままに否定したり、肯定したりもしたくないし、誰かのそうした行為を受け取りたくもない。