観葉植物をいくつか育てている。ここ何年かはハーブだのレタスだの屋外で育てて季節が終われば片付ける、という土いじりばかりだったので久しぶりだ。早朝外へ出て葉の様子を見たり、受け皿を洗ったりする。冬の外気に晒されながら土とそこに生える草の世話をするより楽しいことはない。
チョコレートである。フェアトレードマークというものについては、それが本来の目的を厳正に果たしているかという点において、あまり信用していない。かといって自分が直接的に何かするのも難しいので、そこは信頼できる企業を見つけ、消費者として選択していきたい。Tony’s Chocolonleyが気になっていて、日本でも入手しやすくなってくれたらいいなあと思っているところ。
昨日から久しぶりにLOTRを見ている。まだ「旅の仲間」の中盤。序盤、エルロンドの館で九人の旅の仲間が決まる場面のやりとり(私は弓で戦おう!とか宣言して加わる)がいかにも民話的でいい。昔見た時は話についていくのに必死で好きなキャラクターにまで思い至ることがなかったのだが、今回はあちこちに視線が飛ぶ。特にガンダルフとサルマンという二人の存在と、対立する構図がとてもいい。他の作品でも、主人公の仲間が自分と同じ属性を持つ敵と一対一で戦うシーンが大好きなのだが、この二人においては「シニア名優対決」という点でも非常に熱いものがある。
勇気と情熱のガンダルフ、理性の果てに狂気的な冷酷さで悪に染まったサルマン。この二人の対立にどんな形で決着がつくのかは忘れてしまった。旅の終わりを再び見届けるのが楽しみだ。
もう8日であるし、七草も入っていない。昔から柔らかい御飯が大嫌いで、粥というものを食べられるようになったのはだいぶ最近になってからだ。それも中華粥の濃い味を食べてようやく抵抗がなくなったという次第である。中華粥!角煮と搾菜を添えた中華粥を食べたい。今はコーヒーを飲んでいる。
大人とはなんだろうか、とふと思う。子どもの頃考えていた「大人」は、空に浮かぶ星の名や、道端の草木の名をなんでも知っている人のことだった。生業にこそしていないけれども、私は概ねそういう人生の途中にある。現実的な話、それだけでは到底大人とは呼ばないし、自分自身にしろ、好きだから続けているというだけの話だ。その上、それらを知らなくとも「大人らしさ」には全く関係がない。大人の背中というものがあるとしたら、ただその人の振る舞いであり、生き方に他ならない。私自身が「大人のあり方」について考え続けるのならば、これからどんな選択をしようと、そのことは忘れずにいたいと思う。(副題:いいやつになれ、と霊幻は言った)
猫の事務所(宮沢賢治)
新版 指輪物語6(J.R.Rトールキン)
安田講堂攻防七十二時間 東大落城(佐々淳行)
おじいさんに聞いた話(トーン テレヘン)
よみがえる天才1 伊藤若冲(辻惟雄)
オリガ・モリソヴナの反語法(米原万里)*
トムは真夜中の庭で(フィリパ ピアス)
ライオンと魔女(C.S ルイス)
わたしを離さないで(カズオ イシグロ)
雪が降る(藤原伊織)
*フォームで勧めて頂いた本
最近購入した本もあるが、積読をいくらか消化できたので良かった。ナルニアはこれまで読んだことがなかったのだが、指輪物語を読み始めたのが良いタイミングとなった。
*は別所経由で勧めて頂いたのだが、あまりに面白くて一気に読み終えてしまった。登場人物がどんどん増えて行くけれど、全員にドラマがあり、しかも最後は綺麗に一つの結末へ行き着くのが最高だった。
卒業した高校へ再び登校する夢を見た。親に送ってもらう車の中で「知らない人ばかりになっているだろうにうまくやっていけるだろうか」などと漠然と考えていた。学校からの帰り道、もう長い間連絡が取れなくなっている友人に会うため彼女の職場へ行った。彼女は現実には生花店で働いていたけれど、夢の中では今はもうない書店で働く人だった(彼女は本を読むのがとても好きで、私が声をかけても気がつかないほどに熱中する人だったから、願望というか、潜在意識がそうした設定を作り出したのかもしれない)。連絡が取れなくなる少し前、彼女は精神的にとても不安定だったけれど、夢の中ではちゃんと健康そうに働いていて、私を見ると笑った。私はポケットから自転車の鍵を取り出して彼女に渡した。彼女の運転する車に幾度も乗せてもらったけれど、その鍵は彼女が小学校の頃に乗っていたブルーの自転車の鍵だったと目が覚めてから思った。
東京都現代美術館で開催中の「マーク・マンダース マーク・マンダースの不在」展に行ってきた。朝一番で訪問したが、先客は皆同時開催のライゾマの方へ吸い込まれて行ったのでほぼ貸し切り状態、とてもゆったりと鑑賞することができた。インスタレーション独特の作者の頭の中を歩き回るような体験は奇妙で楽しい。「不在」や「未完成」といったものはある意味で理想的な形なのかもしれないな、と鑑賞しながら考えていた。内臓剥き出しのようにも見える「未完成」は生成でもあるが腐敗にも感じる。あるいは、恒久的に留まり続ける「過去」を鑑賞者の意識を通して遡るように感じる作品もあった。マーク・マンダースの文字ではなく立体を通じて語るという行いを、自分なりに少しは解釈できた、のだろうか。とにかく面白くて何度も行き来した。あと粘土か石膏に見えてブロンズ製の制作物が多くて、この辺の知識がないのだがあの質感、どうやって作るんだろう。
順路最後にある床下に三羽の鳥の死体(のオブジェ)が埋められている部屋は普通に最高だったな。「大地は死に覆われている(けれど普通に地面を歩く時それに気づくことはない)」のだ。