先月から一箱本屋を始め、なんとなく売れたりしている。自分を経由して本が売れるのは嬉しい。接客業が絶望的に向いていなくて書店のアルバイトを三ヶ月で辞めた過去があるけれど、方法を少し変えれば本と一緒に何かをやるのはやっぱり楽しい。
Twitterを見なくなり、ネットニュースを見なくなった結果、美術館やNASAの記事を見る時間が増えた。ナショジオの定期購読を随分前にやめたのだが、ニュースレターだけは受け取っている。目を通すとやはり面白い。購読したいが紙の本は嵩張るのが難点だ。英語版のKindleがあるといいのだが。
速報性からは離れるがナショジオキッズをなんとなく読んでみる。サイトの更新頻度がわからないが、現在のトップにはチリについての記事がある。簡潔な内容だが無知の者には結構面白い。首都近郊には全人口の四割が居住しているそうで、郊外の子供たちは通学に時間がかかるため朝が早いとある。日本でも中学高校が遠すぎることはままあるが、チリも同じような感じなのだろうか。小学校が遠いのだとしたら相当大変だ。
またチリの先住民族マプチェ、wikiによればその名前の由来は彼らの言語で大地(Mapu)に生きる人々(Che)だという。とてもいい響きだ。チェ、という言葉は隣国アルゼンチンの雄ゲバラの愛称を思い出すが、あちらはスペイン語か。入植者たち、彼らと争った民族。様々の血と動乱の歴史を持つ南米の地に想いを馳せる。
箱買いしたので、と頂いた。好きなものを好きなだけ買える大人はいいね。
大人とはなんだろうか、とふと思う。子どもの頃考えていた「大人」は、空に浮かぶ星の名や、道端の草木の名をなんでも知っている人のことだった。生業にこそしていないけれども、私は概ねそういう人生の途中にある。現実的な話、それだけでは到底大人とは呼ばないし、自分自身にしろ、好きだから続けているというだけの話だ。その上、それらを知らなくとも「大人らしさ」には全く関係がない。大人の背中というものがあるとしたら、ただその人の振る舞いであり、生き方に他ならない。私自身が「大人のあり方」について考え続けるのならば、これからどんな選択をしようと、そのことは忘れずにいたいと思う。(副題:いいやつになれ、と霊幻は言った)
やりたいこととやらなくてはならないことと山ほどありすぎるわりにどれもうまく進まないので、一周回ってなにもやりたくない気持ちになっている。本を一冊読むのに一ヶ月かかった。読みたいと思う本もあまりない。日本語原著は相変わらずだめで、いったん翻訳というワンクッションを経た他言語作品ならどうにか、というところ。というか実際は、カズオイシグロしか読んでいない。イシグロの文章はいい。翻訳もいいのだと思う。雰囲気はずっと淡々としている。淡々としていても情緒豊かだ。冷淡でもあり、暖かくもあり、不可解でもある。それはイシグロ作品が「過去」を多く扱うこととも関連があるだろう。が、ともかく、読み手を過度に煽らない文章に助けられている。
最近、オースターを読む人にイシグロをすすめてみた。両者は根底を流れている水のようなものが似ていると思う。そういうニュアンスでしかないところへ、どれだけ同意してもらえるかはわからないが。