Tumblrが久しぶりすぎて、ブースト機能がいつからあるのかも知らない。いい感じのブログを書きたいといつも思っているけど、現実は散らかった部屋でうんざりしているだけだな。
新しいランチボックスを買ったので、早速使ってみる。今朝はパスタサラダを作った。コンビニで売っているもののように出来たと思う。買ってあったドレッシングがちょうどそれらしい味だったし、パスタの茹で具合も良かった。時短のためと思って前の晩から水に浸しておいたのだが、これがよかったのかもしれない。カット野菜とツナ缶を乗せて終わり。これにスープを合わせて、名探偵ポワロを見ながら昼を過ごした。
オウテカ一生かっこいいよな、とずっと言っている気がする。なぜならオウテカは一生かっこいいので。今日ふと思い立って通勤中に聞いていた。ソフィーという才能が既にこの世にないことがあまりにも寂しい。
先月は何だかんだ10冊本を読み終えた。元々並行読書のスタイルを取っているので読了まで時間はかかるが、終わる時は一気に何冊も終わる。今年の読書目標はガーディアン紙選書の1000冊を潰して行くことなのだが、どうしてなかなか進んでいない。同じ作者でも他タイトルが気になってそちらに取り掛かってみたりしている。今はエーコの「プラハの墓地」を読み始めたところ。シオン賢者の議定書を生み出した偽書づくりの名手を主人公に、実在の人物が多数脇を固めていて面白い。
上越新幹線にて絶賛運用中のMaxとき(たにがわ)ことE4系が、ついにこの秋を持って運用終了となる。引退キャンペーンの一環として全編成に特別ラッピングが施されたと聞いていてもたってもいられず、退社後の足で東京駅へ寄ってきた。装備はといえば、スマホとISO100のフィルムが入ったカメラしかない。知っていればそれなりに持って出たのに、でもまあいいだろうと思って入場券を買った。とにかく「見てみたい」と言う己の気持ちを尊重することが重要だと思ったのである。
Maxは素晴らしい車両だった。子供時代、新幹線に乗る機会なんていうのは基本的に夏冬の長期休暇を利用した旅行に伴うもので、動機からして既に楽しい。しかも新幹線というものはただでさえ、大きくて速い。その上二階建てとくれば、それはもうとてつもなく素晴らしい存在だったのである。
親たちはいつも二階席をとって子供たちを喜ばせた。いい思い出だ。私は今でもできる限りMaxを選び、二階席に座る。ただいつの頃からか夏と冬の休暇期間だけは、かつての自分のような子どもたちに配慮(?)して、一階席に収まるようになっていた。乗る機会を持てない間も、Maxの走る姿を見るだけで嬉しかった。
Maxにとって最後の冬は終わった。融雪用のスプリンクラーが吹き出す水の霧に包まれながら入線するMaxを見ることはもうない。けれどまだ夏はやってくる。今年はどうだろうか。帰省の、あるいは旅行に向かう子どもらがステップを駆け上がって行く姿を見ることができるのだろうか。そうして彼らで満席になった車窓を見ることが。そうであってほしい。
最後の最後まで、Maxにとって、たくさんの人にとって、素晴らしい思い出が積み重なるように、心から願う。
SXSWでの上映にイライジャウッドが来ていてマジかよ〜〜となった話、ただただ楽しそうで良い。