Tumblrが久しぶりすぎて、ブースト機能がいつからあるのかも知らない。いい感じのブログを書きたいといつも思っているけど、現実は散らかった部屋でうんざりしているだけだな。
上越新幹線にて絶賛運用中のMaxとき(たにがわ)ことE4系が、ついにこの秋を持って運用終了となる。引退キャンペーンの一環として全編成に特別ラッピングが施されたと聞いていてもたってもいられず、退社後の足で東京駅へ寄ってきた。装備はといえば、スマホとISO100のフィルムが入ったカメラしかない。知っていればそれなりに持って出たのに、でもまあいいだろうと思って入場券を買った。とにかく「見てみたい」と言う己の気持ちを尊重することが重要だと思ったのである。
Maxは素晴らしい車両だった。子供時代、新幹線に乗る機会なんていうのは基本的に夏冬の長期休暇を利用した旅行に伴うもので、動機からして既に楽しい。しかも新幹線というものはただでさえ、大きくて速い。その上二階建てとくれば、それはもうとてつもなく素晴らしい存在だったのである。
親たちはいつも二階席をとって子供たちを喜ばせた。いい思い出だ。私は今でもできる限りMaxを選び、二階席に座る。ただいつの頃からか夏と冬の休暇期間だけは、かつての自分のような子どもたちに配慮(?)して、一階席に収まるようになっていた。乗る機会を持てない間も、Maxの走る姿を見るだけで嬉しかった。
Maxにとって最後の冬は終わった。融雪用のスプリンクラーが吹き出す水の霧に包まれながら入線するMaxを見ることはもうない。けれどまだ夏はやってくる。今年はどうだろうか。帰省の、あるいは旅行に向かう子どもらがステップを駆け上がって行く姿を見ることができるのだろうか。そうして彼らで満席になった車窓を見ることが。そうであってほしい。
最後の最後まで、Maxにとって、たくさんの人にとって、素晴らしい思い出が積み重なるように、心から願う。
SXSWでの上映にイライジャウッドが来ていてマジかよ〜〜となった話、ただただ楽しそうで良い。
『 湿原の朝食 』 @ Nikko Senjougahara
前回の続き。珈琲野点にパンを齧ってきました。赤い実や小枝、枯葉、雪に落ちて冬の絵を描いています。ほんの少しでも陽がさすと落下物の周辺だけ雪が溶ける。これも自然の営みですね。湿原の鉄分が川を赤くしていて雪とのコントラストが美しい。
「人々はばかげたユーザー名を作り、匿名でTumblrにジョークのスレッドを延々と作っていた。」楽しそうだなあ
そんなわけで全巻セットを無事受け取る。地図付き!嬉しい。
昨晩はAmazonプライムで「GET DUKED!」を見た。エディンバラ公主催の「都会の若者を田舎に連れ出す」企画に参加した男子高校生四人の珍道中。メンバーは不良三人と、真面目な一人。適当に終わらせて帰るつもりが、謎の「公爵」に命を狙われ……というストーリー。自国民と王室にも容赦しないイギリス人のブラックユーモアが全編に渡り炸裂している。言うなればブリテンスピリットの塊である。引率の教師役がSHERLOCKでアンダーソンを演じたジョナサン・アリスで、個人的には嬉しい邂逅だった。
高校生の他にハイランド住民の高齢者たちがゾロゾロ出てくるのだが、これがまた元気いっぱいで良い。「ロンドンゾンビ紀行」(高齢者たちがゾンビと戦う)を彷彿とさせるテンションの高さ。見習いたい(?)。
最後に書いた日記の内容を覚えていない。特段書くこともなく、というよりも何かを誰かに知らせることの意味を全く見出せず、近頃インターネットには全然いない。前回、読書に関することを書いたかもしれない。そうか。読書は相変わらず捗っている。電車の中、寝る前、ほか。2014年に買った本が全然面白くなかったのは、続きものの2巻だったからだった。1巻を買って読んだ。痺れるほど面白かった。そういう季節を過ごしている。12月。
夏にリペアに出したカメラを久しぶりに持ち出したら、1本目で巻き上げダイヤルが回らなくなった。2回リペアに出したら同じカメラをもう一台買えると思うと腰が重い。とはいえ、買い替えるのも躊躇している。なんだかんだ十年は持ち続けてきたものだ。愛着もある。年数が経てばガタが来るのは仕方のないことで、その度に治療が必要なのは有機物と同じだ。この頃そういう諦めを理解しつつある。とはいえ私のカメラは私より既にずいぶん長生きだし、寿命というものがあるにせよまだ当分先のことだと楽観視している。
寒くなったと人は言うが、東京は全然寒くない。そういう街をくそったれと思いながら生きている。小説を書こう。短歌を詠もう。疲れ果てているけれど、やれることをやっていく。