昨日から久しぶりにLOTRを見ている。まだ「旅の仲間」の中盤。序盤、エルロンドの館で九人の旅の仲間が決まる場面のやりとり(私は弓で戦おう!とか宣言して加わる)がいかにも民話的でいい。昔見た時は話についていくのに必死で好きなキャラクターにまで思い至ることがなかったのだが、今回はあちこちに視線が飛ぶ。特にガンダルフとサルマンという二人の存在と、対立する構図がとてもいい。他の作品でも、主人公の仲間が自分と同じ属性を持つ敵と一対一で戦うシーンが大好きなのだが、この二人においては「シニア名優対決」という点でも非常に熱いものがある。
勇気と情熱のガンダルフ、理性の果てに狂気的な冷酷さで悪に染まったサルマン。この二人の対立にどんな形で決着がつくのかは忘れてしまった。旅の終わりを再び見届けるのが楽しみだ。
フォローしている方の投稿を見て、面白そうだったので買った。執筆陣に好きな作者が多かったのと、特にウティット・へーマムーンの名前があったのは大きい。届いてすぐ「心焦がすサイゴン」を読んだ。感情がねじ切れるかと思うほど良かった。へーマムーン氏の描くタイ人はチャオプラヤ川を原風景として強く抱いている。異国においても川は彼らの意識から切り離されることはなく、どこにいても彼らのチャオプラヤ川に繋がっている、そういう強い感情を今作にも垣間見た。生きることと国あるいは政治というものが強く密接し合い、混じり合って肉体をなす人々の人生。その、一場面。
足が重い。体が怠い。会社を出て家に帰るまで何千マイルも歩かなければならないような気がしてくる。暑い。初夏じみた夕日が行く手のアスファルトを不必要に温めているのが見える。延々と続くその上を否応なく歩く。重力によって路面に吸い付く足裏を嫌々持ち上げては下ろす。脇をすり抜けていく自転車。どうしてこんな、大気と地表の間を徘徊しているのかよくわからない。
長く続く道を歩き続けていたらいつかアメリカにいるかもしれない、と働かない頭が夢想する。延々と続く道はいつか乾いた風に両側が開け、そのうち「66」の看板を掲げたロードサイドのコーヒーショップが姿を見せる。70年代(70年代というのはニュアンスに過ぎない、前後十年程度、70年代だろうと思っている)から営業していそうな、最近出来た店。ひとときの喧騒を通り過ぎると、再び何もない国道に出る。目的地であるところの我が家はもうすぐだ。と思っていると、広野に突如として現れた20年代風の小さな家に辿り着く。少しだけ開いたキッチンの窓からガンボの匂いがしている。疲労に疲労を重ねて帰路を辿ってきたけれど、いつの間にかルイジアナまで来ていたのだ。ルイジアナ。なんという長い道のりであっただろうか。しかしまあ、それをやってのけたのである。そう思って、充足した気持ちで玄関ドアを叩く。夢の中で全然知らない人の家に帰ってきた時の不可解な正当性を持って。
SNSを見ていると常に誰かが怒っている。政治に、あるいは見も知らぬ誰かの発言に。自分の意見を明瞭にしておくことは大切だが、怒ること自体を目的に持ってしまうのはあまりに虚しい。他者への批判は自己を正当化するためにあるのではない。感情の赴くままに否定したり、肯定したりもしたくないし、誰かのそうした行為を受け取りたくもない。
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ボンドエア、シャーロックが乗るはずだった飛行機、墜落を待つユーラスの孤独な旅。SHERLOCKにおいて飛行機は最初からずっと死出の旅であった。スティーブン・モファット、あるいは「彼ら」が飛行機という小道具に惹かれるのはなぜなのだろう。実際的な別れはこの小道具によっては生じないけれども、潜在的な、観念的な意味での旅立ちは常にここにある。ホームズはかつて19世紀で滝壺に落ちたように、21世紀ではビルから落ちた。落ちて死ぬのは肉体だけではない。飛んでいるものはいずれ落ちる。ジム・モリアーティが望んだように。幾度となく折り込まれるのはそうした摂理への冷めた目線であり、そうはなりませんように、という祈りにも見える。
1巻読み終わった。未だホビット庄を出ていないことに驚く。そしてやはりホビットの冒険を読んだ後なので、諸々理解が及んで楽しい。映画のフロドは若者だったので、原作では五十歳なこと、五十歳なのでそれなりに落ち着きのある雰囲気なのが新鮮で面白い。
ホビットの冒険でもそうだったが、食事の様子が美味しそうで良い。きのことベーコンの料理なんて容易に味の想像がつく(確かに美味しい)けれど、物語に出てくると途端に食べたい気持ちが湧いてくるから不思議だ。それから森で出会ったエルフたちが振る舞ってくれた食べ物。「泉のように冷たくて黄金色をした飲み物」は一体どんな味なのだろう。それが宴席で供される場面もいいのだが、水筒に詰めてもらったのを飲むのがいかにも美味しそうだった。いや、どんな感想だ。
あなたの周りは、いたるところ広い世界。垣根をきずいてとじこもることはできても、垣根の中にいつまでも外の世界を入れないでおけはしないでしょう。(新版指輪物語1 191ページより)