怒りたい時に怒ったり泣きたい時に泣いたりできたのって何歳ぐらいまでだったんだろうな。やめるとか諦めるとか、そういうスタイルがいつの間にか自分の生き方を上書きしてしまった。そうではなかった時期ってどこだったんだろう。20歳頃には完全に目が死んでいたから、せいぜい17、8かそこらまでかもしれない。いやそんなメンタルで高校進学した気がしない。中学と同時に卒業したかもしれない。15歳とかもう記憶がないよ。でもきっと一瞬の喜怒哀楽に生きるか死ぬかという問題が詰まっていて、目の前の何もかもが美しいか汚いかどちらかだった。思春期って楽しいや。
あれから時が経って、負け惜しみみたいなトライアンドエラーを無数に繰り返して、結果修復不可能なエラーの負債を背負いながら乗りたくもない電車を待つ今を今日も生きてるけど。
Twitterを見なくなり、ネットニュースを見なくなった結果、美術館やNASAの記事を見る時間が増えた。ナショジオの定期購読を随分前にやめたのだが、ニュースレターだけは受け取っている。目を通すとやはり面白い。購読したいが紙の本は嵩張るのが難点だ。英語版のKindleがあるといいのだが。
速報性からは離れるがナショジオキッズをなんとなく読んでみる。サイトの更新頻度がわからないが、現在のトップにはチリについての記事がある。簡潔な内容だが無知の者には結構面白い。首都近郊には全人口の四割が居住しているそうで、郊外の子供たちは通学に時間がかかるため朝が早いとある。日本でも中学高校が遠すぎることはままあるが、チリも同じような感じなのだろうか。小学校が遠いのだとしたら相当大変だ。
またチリの先住民族マプチェ、wikiによればその名前の由来は彼らの言語で大地(Mapu)に生きる人々(Che)だという。とてもいい響きだ。チェ、という言葉は隣国アルゼンチンの雄ゲバラの愛称を思い出すが、あちらはスペイン語か。入植者たち、彼らと争った民族。様々の血と動乱の歴史を持つ南米の地に想いを馳せる。
こちらのnoteを読んで始めてみた。一日一枚撮って貼るだけなので簡単である。何はなくともとにかく一枚撮らなくてはならない、というのも結構楽しい。絵的には地味でもチェキならなんとなくいい感じになる(気がする)のもありがたい。
挟んである写真は相田諒二さんのポストカード。季節が変わればまた違う写真にする。
今朝は新年早々コンビニのコーヒーマシンでサイズを間違って抽出するという愚行。「仕事始めだからボーッとしちゃいますよね!」と店の人に慰められるなどする。その人は親切にもカップの蓋を棚から取ってくれたのだが、これまたサイズが違っていた。仕事始めだから仕方ない。Sサイズのカップになみなみと入ったコーヒーを慎重に運びながら店を出た。
年越し蕎麦用に買った山菜の水煮がまだあったので、流用したパスタ。もう随分店のパスタを食べていない。