観葉植物をいくつか育てている。ここ何年かはハーブだのレタスだの屋外で育てて季節が終われば片付ける、という土いじりばかりだったので久しぶりだ。早朝外へ出て葉の様子を見たり、受け皿を洗ったりする。冬の外気に晒されながら土とそこに生える草の世話をするより楽しいことはない。
先月から一箱本屋を始め、なんとなく売れたりしている。自分を経由して本が売れるのは嬉しい。接客業が絶望的に向いていなくて書店のアルバイトを三ヶ月で辞めた過去があるけれど、方法を少し変えれば本と一緒に何かをやるのはやっぱり楽しい。
上越新幹線にて絶賛運用中のMaxとき(たにがわ)ことE4系が、ついにこの秋を持って運用終了となる。引退キャンペーンの一環として全編成に特別ラッピングが施されたと聞いていてもたってもいられず、退社後の足で東京駅へ寄ってきた。装備はといえば、スマホとISO100のフィルムが入ったカメラしかない。知っていればそれなりに持って出たのに、でもまあいいだろうと思って入場券を買った。とにかく「見てみたい」と言う己の気持ちを尊重することが重要だと思ったのである。
Maxは素晴らしい車両だった。子供時代、新幹線に乗る機会なんていうのは基本的に夏冬の長期休暇を利用した旅行に伴うもので、動機からして既に楽しい。しかも新幹線というものはただでさえ、大きくて速い。その上二階建てとくれば、それはもうとてつもなく素晴らしい存在だったのである。
親たちはいつも二階席をとって子供たちを喜ばせた。いい思い出だ。私は今でもできる限りMaxを選び、二階席に座る。ただいつの頃からか夏と冬の休暇期間だけは、かつての自分のような子どもたちに配慮(?)して、一階席に収まるようになっていた。乗る機会を持てない間も、Maxの走る姿を見るだけで嬉しかった。
Maxにとって最後の冬は終わった。融雪用のスプリンクラーが吹き出す水の霧に包まれながら入線するMaxを見ることはもうない。けれどまだ夏はやってくる。今年はどうだろうか。帰省の、あるいは旅行に向かう子どもらがステップを駆け上がって行く姿を見ることができるのだろうか。そうして彼らで満席になった車窓を見ることが。そうであってほしい。
最後の最後まで、Maxにとって、たくさんの人にとって、素晴らしい思い出が積み重なるように、心から願う。
インターネットという社会を暮らすにあたり、私の場合はTumblrという家に引きこもって時々繁華街(情報サイトやTwitterなど)に出かけるという生活スタイルが合っているのかもしれない、とぼんやり思った。ニュースサイト然り、その他云々。Twitterを繁華街と言ってみたけれど、学校の教室みたいだとも思う。みんなが喋っていて、とめどもなく喋っていて、その中にいるのは楽しい時もあるけれど、下校して家に帰るとホッとする、というような。Tumblrを眺めるのはそれとはまた違った感覚がある。フォローしている人の投稿がダッシュボードに流れてくるのを見るのは、「町の図書館でよく見かける人にまた会った」とでも言えばいいのか。上手い比喩が見つからない。
春の風の瑞々しさは、あたらしい果物を噛んだ時のそれに似ている。ほんの少し雪が降ったかと思えば、瞬く間に気温は上がり、そうかと思えば雹が降ってみたりもする。春はもうこの土地に戻ってきたのだけれど、まだ荷ほどきをせず、生きている者たちの様子を観察しているのかもしれない。強い風を吹かせ、時折はまた寒気のために道を開ける。二月の終わりにさえ、雪が降ったことはあったのだから。
ところで、今日が節分というのは人に聞くまで知らなかった。何がなんでも二月三日というわけではなく、立春の前日のみをそう呼ぶとは!
帰りがけにスーパーを覗くと、みんな恵方巻をカゴに入れていた。関東で恵方巻を食べるようになったのはここ十数年程度ではないだろうか。しかしそう考えてみると、イベントとしてすっかり定着したのだなあとも思う。いずれにしても献立に悩む必要がない夜というのは大変ありがたいものだ。それだけでも歳神の方を向いて、御礼を言いたくなるものである。
東京都現代美術館で開催中の「マーク・マンダース マーク・マンダースの不在」展に行ってきた。朝一番で訪問したが、先客は皆同時開催のライゾマの方へ吸い込まれて行ったのでほぼ貸し切り状態、とてもゆったりと鑑賞することができた。インスタレーション独特の作者の頭の中を歩き回るような体験は奇妙で楽しい。「不在」や「未完成」といったものはある意味で理想的な形なのかもしれないな、と鑑賞しながら考えていた。内臓剥き出しのようにも見える「未完成」は生成でもあるが腐敗にも感じる。あるいは、恒久的に留まり続ける「過去」を鑑賞者の意識を通して遡るように感じる作品もあった。マーク・マンダースの文字ではなく立体を通じて語るという行いを、自分なりに少しは解釈できた、のだろうか。とにかく面白くて何度も行き来した。あと粘土か石膏に見えてブロンズ製の制作物が多くて、この辺の知識がないのだがあの質感、どうやって作るんだろう。
順路最後にある床下に三羽の鳥の死体(のオブジェ)が埋められている部屋は普通に最高だったな。「大地は死に覆われている(けれど普通に地面を歩く時それに気づくことはない)」のだ。